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よんいちぜろ
日々のこととか、自分勝手な呟きとかそんなん。
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かなりめんどくさい、わたしの思考回路の話です。と410は410は断ってみたり!

この広い世界にはいろんな人がいますよね。
テレビに映ってる政治家や、俳優さんや、オリンピックの選手や、今ここにいるわたしや、通りすがる人や、広く言えば小説のキャラクターまで、その人なりの考え方や、喋り方がある。
ある出来事に対してどう思っているのか、どう反応するのか。現実をどう受け止めるのか。未来についてどう考えるのか。
そういうことを考えたり、知る作業がとても好きです。
思ってることを全部口に出すわけじゃないじゃないか。わたしはその人にはなれないから、100%その人を理解することなんてできないし、なりたいとも思わない。
だけど、ちょっと過剰に言うなら、わたしと違う人がそこにいて、どうして知りたいと思わずにいられるんだろう。
わたしはできるだけたくさんの人と話したいし、できるだけたくさんの人の考え方を知りたいし、たくさんのことを経験したい。
自分じゃ体験できないようなことを体験してるんだよ!知りたいじゃないか!

わたしは体があまり丈夫ではないし、運動神経も悪いから、スポーツ選手にはなれない。だけど、スポーツ選手の話を聞いたり、言葉を受け取ったり、その試合なり演技なりを見ることで、その世界を知ることはできる。いや、知ったような気分になることができる。
歴史もそう。ドラえもんがいるわけじゃないし、タイムマシンがあるわけじゃないし、その時代のことなんか100%分からないんだ。だけど、できる限りたくさんのことを、たくさんの人のことを知ることで、ちょっとだけ分かったような気になれる。
そういうのが好きです。
今のわたしが立っている世界のことを、ひとつでも知りたい。わたしの世界に存在している人のことを、ひとりでも多く知りたい。わたしの世界が成立する過程を、ひとつでも多く知りたい。
人の生い立ちとか、考え方とか、経験したこと、泣いたこと、笑ったこと、嬉しかったこと、どんなことでも知りたい。それがたとえネガティブなことで、知った時に自分を責めたくなるようなことでも、知りたい。
ひとつでも多く知りたい。うん、その一言に尽きる。
オンリーワンって言うとなんかはずかしいけど、現実、その人と同じ人は存在しないわけじゃないか。


ドッペルゲンガーは“同じ自分”っていうけど、たまに考えます。
どの程度同じなのかなーって。
まず発生。母親から同じように生まれているのか?それとも、生まれた記憶があるだけなのか?
次に、成長。自分が経験したことを……それこそ大きな出来事から、自分自身でさえ覚えていないことでさえもきちんと経験して、忘れるところまで忠実なのか?
次に、お互いについて。
わたしは会うまで、その存在を知らないわけじゃないか。ドッペルゲンガーのほうはどうなんだろう?知らないのかな?知ったとして、反応は同じなのかな。思うことも同じ?
考え方はどのくらい同じなんだろ?顔は?髪の洗い方は?喋るときのくせは?記憶は?今日の晩御飯を食べるとき、最初に手をつけるのは?
わたしが思うに、違う行動をした時点でそれは“同じ”じゃないと思います。
まったくわたしと同じ行動するやつなんかいないと思うんだ。わたしはわたしでしかない。もっと細かく言えば、わたしは「今のわたし」でしかない。
わたしはここにいてこんな記事を書いているわけだけど、未来のわたしは次の文字をどうするんだろうか?
「あ」でも、「い」でも、別のわたしが成立するわけで、わたしは「今のわたし」でしかないから、「未来のわたし」にはなれない。
同じ人間なのにそんなんなんだぜ?ドッペルゲンガーにどの程度再現できるのか、すごく興味がある。
どこから、どこまで、同じなんだろ。
SF小説とかで、ドッペルゲンガーに殺されるやつあるじゃないですか。あれって、殺そうとした時点でもう“違う人”ですよね。だって、殺そうと思った時点でその人にしか分からない思考が成立してるから。
同じ瞬間に殺そうと思ったなら同じだと思うんだけど。
いや、物語の展開とかを否定しているわけじゃなく!
要するにわたしは、わたしの目の前にわたしの格好をしたXが現れたら「あなたの中身はXじゃない」って言うってことさ!


一人の人間がそこに存在するために必要な要素は、たぶん、思ってるより多いんだと思います。
自分でさえそうなんだから、他人となればもっとそうだ。
で、わたしはできるだけ、世界のことを理解したいと思います。知りたいと思う。知りたいと思うのが、わたしだから。
過去とか、環境とか、家族とか、思考回路とか、行動とか、一つ一つ突き詰めていけば、わたしはその人になれなくても、その人のことをわかった気になれる。
わかったような気になったわたしは、わかる前のわたしとは違って、そうやってわたしはそこに存在する。そういうことです。

ニュースとか見てても、その人が何を考えてるんだろ、どうしてそういう感じになったんだろって思って、調べてみるのが好きです。自分で可能な範囲で、だけど。
いろんな種類の情報があって、それを自分なりに組み立てて、その人について考える。
知る前と知った後だと、そのことについて思うことはまったく別で、わたしが変わっていく。楽しい。

で、結論は、わからないからわかろうとするのが面白いんじゃないかってこと。
1+1は?なんて問題を解いても楽しくない。けど、まだ知られていない、わからない問題だから数学者は研究するんでしょう?わたしは数学きらいだけど。
あれだな、人生に似てるのかもしれない。いつか終わる、結果は出てしまう、だけどそこに至るまでに本当の意味がある。
可能性がないものなんかに、時間を割くのは無駄だ。人が生きられる時間は限られてるんだから。
けど、人の可能性に終わりなんかないですよね。
あることができるかできないかという意味での可能性なら、終わりはあると思うけど、“その人”自体に可能性がなくなることなんかないと思うんだ。
死んでしまっても、それを他の人がどう受け止めるか、その人がいたことで世界にどう影響が出るか、無限の可能性がある。そこで終わりじゃないんだ。そんな簡単なものじゃないんだ。


うーんと、要するに、人間一人にすごい価値があるんだと思うんです、ね。それがリアルでも、二次元でも。
そんでもって、そんな“たった一人”を、わたしは生み出すことが出来る。
だからわたしは、自分が生み出した一人ひとりのキャラクターがかわいくて、いとしくて、しゃーないんだ。とても光栄なことだと思う。
人が生み出したものもそう。すごくたいせつで、かわいくて、いとしくてしゃーない。それがリアルでも、二次元でも。
まあ、きらいな人間ももちろん存在するわけですけれども、それもある種わたしだと言える、し!


わたしはわりと、全知全能になりたいんですよね。すべてのものごとについて、知っていたい。
だけど、最初から分かってるのはイヤだ。全知全能の神に生まれたいなんて、思わない。そんなの退屈だ。
絶対に不可能だと分かっていてもひとつひとつの物事を知りたいと思って、知っていって、知った自分が見る景色は、感じる世界はどうなのか知りたい。きっとすごく楽しいだろうな、と思う。
分かりやすく言えば、わたしは死ぬ時の「わたし」を知りたいってこと、かな?
もっと言えば、死後の「わたし」も知りたいなー!わたしが死んだ後の世界なんかどうなろうと知ったこっちゃないけど、わたし自身はどうなるんだろうね!死後の世界とかあるのかな。
そういうどうしようもないことを考えるのが楽しいです。考えるために知識を求めるのも、楽しいです。考えているわたしは、変わっていってるから。
うん、要するにわたしは「わたし」を作り上げていきたいんだろうな。「わたし」のことを知りたい。だから、他の人のことが知りたい。なんというXだ。




……えーと、なんか、正直ごめんなさい。読み返すとすげー電波ガールだ。どうしよう。
えーと、えーと、そういうわけで、オリンピックの選手はすごいなあと思ったり、応援してます!それを応援する人も、応援してます!
えーと、そういうかんじで、そういうことを考えてると、みんなすごい人で、とてつもなく自分が幸せな気がするんだ!世界は可能性に満ち溢れてるんだぜ、って!
人間大好きですよ。なんという臨也だ。

んで、藤田まことさんのご冥福をお祈りします。……めちゃくちゃ不謹慎な記事にみえるけれども。よく祖父と仕事人みてましたと、そういうかんじですね。

えーと……あーだめだ、アウトプットするところがあると無駄に放出したがるのはわたしの悪いクセだ!自分のフォローが出来ない!もうだめだ!ごめんなさい、出直してくる!

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