• 05 «
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • » 07
よんいちぜろ
日々のこととか、自分勝手な呟きとかそんなん。
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
かーってうれしいはないちもんめーまけーてくやしいはないちもんめーあーのこーがほーしいーあーのこーじゃわーからんーそーうだんしーましょーそーうしーましょー。410です。
子どもの遊びってなんで深く考えるとこわいの。

さて、明日は高速移動中(スピードではなく状況説明)のはずなので、今のうちにブログを書いておこうと思います。
予約投稿でもいいんですが、予約しておくほどのことは書かないので。

そうですね。
うん……そうですね。
さっきからしゃっくりが止まらないですね。
しゃっくりするたびに吐きそうになってモウダメダー状態。
うん、この時点でクソ記事ですね。

ちょっと意味なく語ってみようか。
特定の宗教を信仰している方はイラッとくるかもしれないけどごめんね☆

わたしはいわゆる無神論者なのですが、厳密には違うんじゃないかな、と思い始めた今日です。
わたしの場合は、 『神はいない、だから信仰しない』 ではなくて、『神がいてもいなくても関係ない、だから信仰しない』 なんですね。
だから別に、特定の宗教を信仰している方を否定はしませんし、そんなん個人の自由だと思います。
ただ、個人の自由というのはこちらにも適用されるので、宗教を他人に強要したり、宗教で人を判断したり、宗教的にこうだからこうしてほしい、と他人に強要したりするのは違うと思います。他人に迷惑をかけない範囲での信仰なら、わたしは何も言いませんとも。
わたしのスタンスとして、神様だとか、そういうものと、わたしたちの生きるところ、いわゆる現世なり現実社会なりというものは、別物なんですね。
なので、神は介入してこないし、人間も介入することが出来ない。だって神様、戦争だろうが震災だろうがメルトダウンだろうが救ってくれねーじゃん?
まあ、神が人間を救うものという考え方自体が宗教を考える時点では破綻しているんだがそれはおいておいて。神様が救わないのは人間だけじゃねーですし。
だから、何もしない神様は存在していようがしていまいが、わたしたちには、わたしには関係がない。していようがしていまいが、影響は何らない。だから存在しないに等しい。と。
これがわたしの前提です。

で、だ。わたしは思うのです。
神はこちらのことに介入すべきではない。救うべきではないというと語弊があるかもしれないが、現実、対処できることにはわたしたちで対処するべきだし、対処できないことはできないと理解しないと、いつまでもどうにもできないだろ?
戦争がヤバい時にいつか神様が救ってくれる……!なんて考えても非生産的ですからね。
末法思想とかその典型じゃないですか?わたしあの時代大嫌いなんだけど。

あとは、むしろ、好き勝手してる日本の多すぎな神様は好感が持てるかもしれない。
どう考えても役に立たない神様もいるしなw
唯一神というものは非常にめんどうです。万能ですしね。
ひとつのもので何もかも説明をつけようとするとどうしても矛盾が生まれるのだけれど、それを矛盾と思わないのがこわいところ。
ちなみに、某セクト系宗教はそもそも宗教と認められねーな。
たいていの宗教にはそれなりの根拠があるものですが、セクト系って、○○神の生まれ変わり、とかさ。そんなんばっかし。
それって結局、神たる誰かさんが他人に自分の根拠を求めてるわけで、どうがんばっても好きになれません。
ということで、先日丁重にお断りしてご帰宅頂きました。

別にわたしは神が嫌いなわけではなく、自分の根拠を他人に求める人間がきらいです。
自分がこうだからこう、と意思表明できないのはいやです。
だから、子どものためなのよ、とか言う親にも吐き気がしますね☆

無神論者というのは、神がいないという、ある種現実信奉者的な要素があると思います。
ただ、わたしは無神論者さんと話しても意見が合わぬのだ。
神はいてもいいし、いるかもしれないよ。でも、どうでもいいよ。
だから、他人が誰を、どんな風に信仰してようとどうでもいいし、普通に神社仏閣教会にいけるし、手も合わせられる。お参りだってお祈りだってするよ。
でも、それを神が叶えてくれるかどうかはどうでもいいです。
要するにわたしは、一番ラクでいたいんだよ。何も信仰しないけど、もしかしたらラッキーもあるかもねっ☆みたいに、適当に利用したい。だから、神がいてもべつに不都合はない。
うふふ、そりゃ思想がきっちりしている人と意見が合わないわけだわ。

そんなわたしがカルト教祖になれるかどうか診断してみた。つづき。
診断結果


教祖の才能 :109点、 偏差値:47.6
信徒の才能 :73点、 偏差値:39.8

※得点は200点満点です


総評

 あなたはカルト的なものに興味は持っていないようです。テレビなどでカルト集団のニュースをやっていても、まったくの他人事と思っています。まず、これからもカルト的なものと関り合いになることはないでしょう。安心して人生を過ごしてください。

合格可能性:D  


教祖的要素

 あなたには特に教祖となるための資質は見いだせませんでした。もし教祖になろうと思うなら、大変な努力が必要でしょう。

 しかしながら、カリスマ教祖の可能性が全くのゼロというわけではありません。「無教養。怪しげな横文字の多用。都合が悪くなったら開き直る」これが最近の流行です。これさえマスターすれば、とりあえず自称教祖は名乗ることができます。某代表のように、宗教というよりお金もうけのビジネスとして割り切るのも一つの方法です。マインドコントロールのための心理学は必須の知識です。悪徳商法で使用されている技術も、信者勧誘の役に立つでしょう。とりあえず壷を売って練習するのもよいかもしれません。印鑑を売ってみるのも良いでしょう。頑張って勉学に励んでください。

 また、あなたは超能力などをあまり信じていないようですが、カルトとしては、これは必須の教科です。スプーン曲げの特訓から始めることをお勧めします。

 信者をどうしても獲得した場合には、色仕掛けというのも一つの方法です。

合格可能性:C  


信徒的要素

 あなたは特に他人の助けを必要としていないようです。自分の道は自分で切り開く、そのようなタイプです。したがってカルト信者になれる可能性は少ないでしょう。

 そんなあなたが多額のお布施を払うエリート信者になるためには、かなりの努力が必要です。たとえば「修行しています」と書いたプラカードを首から下げて、街頭で踊りながら日本縦断をしてみる、そのくらいのやる気が必要なのです。カルト信者への道はかなり険しいと言わざるをえないでしょう。超能力などを信じてみるのも悪くありません。

 総合的に見ると、残念ながら有名カルト集団に入学できる可能性は非常に低いと言わざるを得ません。修行法を変えるか、志望校を弱小カルト集団に変更したほうが良いでしょう。ゆっくり考えてみてください。

合格可能性:D  
 

http://leo10.cse.kyutech.ac.jp/koura/check/check01.html#11





鉄壁すぎてわろた。というかこの診断悪意ありすぎわろたwwwwwwwwwwwww


まあでもね、相手が何かを信じているのなら、極力それを尊重すべきとは思いますよ。
あの国の人に牛を振舞ったり、特別な日に働けと言ったり、そういうのは違うと思います。
宗教という分野であっても、その人の思想というか、信念というか、美学というかなので、他の考え方とか信念とかと差別すべきではないよね。
特定の神を信じて、特定の宗教を信じている。それは、わたしが漫画が好きで、小説を書くのと同じように、誰かのアイデンティティの構築に必要な要素なわけで。
うん。
それがたとえとんでもない性癖であっても、その人の一部であるのなら、わたしはある程度は理解しますよ。というか、したいなとは思いますよ。
ただ、人を巻き込むなら自重しろと言いたいですが。

というかそういう要素って、おもしろい人格形成に役立ちますしね。
わたしの好きな哲学者だったり作家だったりには結構特定の宗教を信じてる人が多かったりするし。
何を失礼な、と怒られるかもですが、そういう意味でもわたしは差別しませんよ。ありとあらゆることを面白がりますよ。あ、さすがに人の生き死にとかかかわる不謹慎なものは別として。
だってそうじゃなきゃ、どうでもいい宗教とかについて評価できないですもん。わたしとかかわりがないものを、どう評価しろと。
わたしにとって面白いか、面白くないかはでかい基準ですよ?







ということを延々話したら先日の某宗教の勧誘の方は帰っていかれました(二人目)

コメント

管理者にだけ表示を許可する
 

トラックバック
TrackBack//URL
Copyright © よんいちぜろ. all rights reserved.

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。