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よんいちぜろ
日々のこととか、自分勝手な呟きとかそんなん。
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CATEGORY : にっき
じぶんをつくりあげる
DATE : 2010-01-19-Tue  Trackback 0  Comment 0
前にも話したんですが、わたしは自分の経験や、思ったことや、得た知識が自分の創作活動の幅を広げると思うんです。
なので、今回はわたしが思ったこと=わたしを構成する感覚について話をしてみます。


昨日ちょっとなんかあんまりにも体調が悪くって、寝るのがめんどくさくて、朝方……4時か5時くらいにベランダに出て一時間くらい空なんぞ眺めておったんですが、なんだろ、どっかの寺かなんかの鐘の音がね、こーん、って響いて。
うちは4階なのでそれなりに高くて、見晴らしがよくて、田舎なのでネオンとかそういうのもあんましないんです。
明け方の空って暗いのに明るいよね。
星も見えるし月も見えるのに、なんか明るい。それらの光で明るいわけではなく、空自体が。
そして、すごく静か。
そこにこう、なんだろ、ゆったりと広がっていく波紋みたいな、音。
あー、と思いながら目を閉じたら、二回目。もう一回鳴るかなって期待しながらしばらく待ったら、三回目。
なんか、自分の中に染み渡るみたいだった。何も返す必要はなくて、だからといって自分が侵されるというわけでもなくて、ただ受け入れて、染みてくるのを楽しめばいい、みたいな。

朝方の空を眺めるのは好きです。というか、朝方の音を聴くのが好き、かも。
すごく静かなのに、その中に、あくまでも静けさを破壊しない程度の音。水の流れる音とか、風の音とか、鳥の鳴き声とか、たまに車の走る音とか。
夜の散歩も好きだけど、明け方の散歩はもっと好きです。
なんだろ、普段自分と世界ってあくまで別のものじゃないですか。世界の中にわたしは立っているという感覚。別のものの中にある、別のもの。
けど明け方とかだと、すごく、自分が世界と一体化してるかんじがします。わたしは世界の一部であるという感覚。わたしはすなわち世界であるという感覚。
あれだね、修行時代のエドワード・エルリックはきっとこういう感覚だったんだろうな!と!(一番分かりやすい)

そういうわけで、しばらく鐘の音を聴いておりました。
あれだな、除夜の鐘とか、鳴らす意味がわかったような気がする。
あれはたしかに、自分の中のきたねーもんとか消えてくよ。
若干イライラもあったんですよね。体調なかなか良くならないし、だからといってやらなきゃいけないことがなくなるわけじゃないし、考えない生活をしばらく続けるとイッキに襲ってきて、あれはこうしなきゃこれはこうしなきゃって氾濫してた。
けどなんか、なんだろ、うん、落ち着こう、がんばろうって思った。


うーん感覚的すぎてごめんなさい。
まぁ、こういうカンジなわけですよね。自然はすきですよ。特に水辺が。
特に何をするでもなく、メッチャ考え事するわけでもなく、「あ、なんか今いい音した」とか、「今日はこれしたいな」とか適当に思うのがよい。
朝方の川辺の公園で小説を書いていた時期もありました。むしろその川の起原をたどろうと4時間くらい歩いたことも……。
仕事がつらくて、泣きながら朝方散歩したこともありましたなあ。あの頃は若かった。
自分を広げるんだから、って、わりとそういうことしちゃいます。普通の人ドン引きするよね。うん、ごめんなさい。

うんまあ、たのしいよ。やけに哲学的になりますよ。
もやもやしたときはやってみるとよいと思います。都会の姉貴んちでも成立するから、朝方なら。




ところで晩御飯の味噌汁の具が豆腐しかない件に関して!……豆腐にっ、頼らないって決めたのに……っ……!

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