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よんいちぜろ
日々のこととか、自分勝手な呟きとかそんなん。
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※ややぐろいです。
全く、厭になる程晴れた日だった。
空は青々と澄み渡り、何も憂うことはないよと言わんばかりに腕を広げている。
しかし過ごしにくいほどの暑さは伴わず、じわりじわりと流れる汗をゆるやかに風がなぶっていく。それだけだ。
その青天白日という言葉が似合う完全無欠さが、気にくわなかった。
まるで私という人間を丸ごと……その罪深さも、強欲さも、無知さも、すべてを受け入れるようとしているようで、気持ち悪い。
自分をすべて、丸ごと受け入れてくれる。一見すれば喜ばしいことだけれど、実際には「お前は醜く愚かだ」と突きつけられているようなものだ。
清廉潔白なものほど、悪意がある。善意という名の、悪意が。
向けられる悪意など、払い落とせばいい。だけど、望まぬ好意を払いのけるには、私はモラルがありすぎた。だからと言って受け取れるほどの度量もない。
ああ、気持ち悪い。気持ち悪い。何が?自分が。小さく愚かな自分が。あまりにも広い世界が。
そんなことを徒然と思っていると、ふと、道路の真ん中にぽつんと闇が広がっているのに気づいた。
闇に見えたそれは、血溜まりだった。

小さな骸が転がっていた。

明るい茶色に、ふわふわとした柔らかそうな白い腹毛の、子猫だった。抱きしめたら潰れてしまいそうなほどに小さい。
ただその猫には顔が無く、頭蓋骨ごとぐしゃりとつぶれて、腸だろうか?何かの混じった赤いものを道路に撒き散らしているだけだった。まるでその部分だけ、ぽっかりと広がる闇に吸い込まれてしまったように、何も無い。
腹には一切の怪我はない。汚れもない真っ白な腹毛は、その血脈が止まった今でも思わず撫でたくなるような質感を保っている。空を流れる幾許かの白いものと同じくらい、柔らかそうに見えた。
美しい猫だった。
死と、それに対する嫌悪感を感じない、綺麗な骸だった。
青天の霹靂とはこういうことだろうか。
それほど交通量も多くない道路のまん真ん中で、その猫は眠っていた。ペットショップで見た子猫と一緒だ。足を投げ出して、横たわっている。
ただ、ペットショップで見た猫と違うのは、その猫は二度と目覚めることはないということだ。
目覚めるために必要な目もない。

と、視界の右隅に黒い何かが見えた。車だ。この猫の命を奪ったのであろう、凶器だ。
轢かれる、と思った。
もう命の無いものに対してどうしてそんなことを思ったのか、私にもわからない。ただ、助けなければと思ったのだ。
咄嗟に手を伸ばしたが、一歩を踏み出す勇気が無かった。その先にあるのは、私が道路の闇に吸い込まれる未来だけだからだ。
ぶおん、と激しい音をたてながら凶器が通り過ぎて行く。
私は馬鹿みたいに手を伸ばしたまま、どうかあの猫が傷つきませんようにと、そんなことを考えていた。

黒い車は、猫の存在に気づかなかったのだろうか、気にする様子も無く通り過ぎていった。
道路に転がった骸はあわや潰されるところだったが、奇跡的にそのままだった。綺麗な腹毛を見て、ほっと息をつく。
次に、このままではいけないと思った。
次の車が来るまでにあの猫をなんとかしなければ。
傲慢に道路を行く車がどうなろうと知ったことではない。その結果人の一人や二人死ねば罪悪感も生まれるかもしれないが。
ただ、あの白い腹毛が紅に染まるのが嫌だなと、それだけだった。綺麗な……本当に綺麗な猫だったから。
左右を確認する。車は来ていない。
あまりにも綺麗に死んでいるので素手でも大丈夫だろうと思ったが、地面に散らばった赤いものを見て、止めた。
動物の骸からは疫病がどうとか、骸に触れると祟られるだとか、いつか見た本当かどうかもわからない話が思い浮かんでは、消える。
目の前にある骸は綺麗だったから、そういうことを思うのは失礼だと思った。だからこそ、私は素手で触りたくなかった。

死んだ動物の感触は、知っている。死んだ人間の感触も、知っている。
そのどれもが、かつて命があった頃を思わせない嫌悪感を私に与えた。死という、おぞましさを感じさせた。それを私は罪悪だと思っている。
この綺麗な猫に、「死」というわけのわからないものを押し付けたくは無かった。「死体」という醜さを押し付けたくは無かった。綺麗なまま、弔ってやりたかった。ここまで私が「骸」という言葉を使ってきたのはそういう理由だ。
ビニール袋もティッシュもない。この際ハンカチでもよかったが、いつもと違うバッグを持ってきたせいで何も入っていない。いつものノートでさえないのだ。
鞄の中には時間を潰すために持ち歩いている本が一冊と財布、それだけだった。
こうなったら本のページを破るしかないと思ったところで、ふと、出掛ける前にポストから抜き取った封書のことを思い出した。
封筒というのは、解体するとそれなりの大きさの紙ではなかったか?

中身が何なのかなど、興味はなかった。
私は封を切り、中に入っていた大切かもしれない書類を鞄に突っ込むと、徐に封筒を引き裂いた。
真昼の道路に、びりびりという音が響く。
思ったよりも小さかったが、小さな猫をくるむのに不足は無かった。
車が来ていないかどうか確認して、一歩前へ出る。
地面に広がる闇。ぐにゃぐにゃした何か。潰れた頭蓋骨と、血がこびりついたひげ。

不思議だ。外傷など何も無かった誰かのことを私は「死体」として嫌悪したのに、この顔の無い猫に対しては、一切の嫌悪も恐怖も感じなかった。

紙ごしに猫の体に触れた。
よく死体をぐにゃりとした、と表現するが、この猫は違った。腹毛は思っていたように柔らかく、重くも無く、まるで誰かに抱かれるのを待っていたように、私の手に身を委ねた。
持ち上げて、道路の端まで連れて行く。
近くの工事現場の人が、おぞましいものを見る目で見ていた。顔の無い猫を、ではない。私を、だ。
顔色一つ変えず、顔の無い猫を抱き上げたわたしがそんなにおかしかったのだろうか?
普段の私なら悪態の一つでもつこうものだったが、この綺麗な猫に触れている時にそんなことをするべきではないと思った。
それはまるで、この猫を汚すことのように思えた。

手を離した瞬間に私が感じたのは、喪失感だろうか。
顔の無い猫はぽつんと寝そべっていた。何故だろう、さっきのあの闇の中にいた時の方が美しく見えた。
手を合わせて目を閉じると、私の後ろをまた、ぶおんと車が通り過ぎていった。
目を開けると、先ほどの工事現場の男性も手を合わせて目を閉じていた。
私の家では、動物が死んだら水葬するのが慣わしだったが、さすがにこの顔の無い猫を紙切れ一枚で川まで連れて行く勇気は無い。
下手に埋めるのもよくないと聞いたことがある。ここは保健所に任せるべきだと、そう思った。

……綺麗な猫を綺麗なままにしてやった。それが何になると言うのだろう。
私が本当に善人なら、そもそも猫が死ぬようなことを受け入れられるわけがない。猫に対して可哀想だ、加害者に対してひどいと思うべきだ。どうして死んでしまったの、もっと生きたかったよね。そんなことを思うはずだ。
私のこの無感情さは、有害でないだけで、立派な罪悪だ。
猫が顔を失ったことに対して、何の疑問も抱かない。
虫を殺すこの手で、死体を醜いと思うこの手で、ただその腹毛が綺麗だったからという理由だけで抱き上げて、墓を作るわけでもない。それを傲慢と呼ばずなんと呼ぶ。

綺麗なままにしておきたかった。
それはわたしの、わたしのための感情だ。独り善がりな善意だ。いや、善意と言っていいものかどうか。もしかしたら、善意という名の悪意かもしれない。
結局私は、この猫に対して何も思っていないのだろう。
ああ、気持ち悪い。気持ち悪い。何が?自分が。
この顔の無い猫はこんなにも美しいのに。きっとあの日の私が今の私に触れれば、死体に対してそうだったように、顔を顰めただろう。

顔の無い猫は、人を怨むだろうか。私を、怨むだろうか。
最後に、猫の、もうそこに無い顔を眺めて、そんなことを考えた。

私はオーディオプレイヤーを操作して、クラシックのリストを開いた。モーツァルトでも、シューマンでも、ハイドンでも良かった。ただレクイエムが聞きたかった。
だけど見つからなかった。そういえばリストに入れた覚えが無い。探せばあるだろうが、一万を超える曲の中からそれを見つけるのはたやすいことではないと思った。それこそ、顔の無い猫を抱き上げるよりも。
仕方なく、ただなんとなく神聖に思えたとそれだけの理由で、ハレルヤ・コーラスを聞きながら、晴天の中を歩いた。

全く、厭になる程晴れた日だった。

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