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よんいちぜろ
日々のこととか、自分勝手な呟きとかそんなん。
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CATEGORY : にっき
なんかマジカルボックスって言うとブラックマジシャン出てきそう
DATE : 2010-03-17-Wed  Trackback 0  Comment 0
はいはい感覚っていうかなんかそういうトークだよ!

わたしは世に言う「偽善的」な人間だと思うんですよね。
ついったー見てる方はご存知のように、募金できるんだぜ!って一度わかってしまうと、忘れてない限り継続したがるし、五円玉以下は募金と決めているし、困っているんじゃないかなあと思ったら声をかけたくなるし。
自分の中のどこからそういう感情が出てくるのか、相手のためなのか自分のためなのか、よくわからないので、「偽善」と言われても、「善だ!」と言い切ることができないんですが、まあそれはおいておいて。

そういうかんじでですね、高校時代に知的障害児のための音楽療法の教室のアシスタントのボランティアをしてたことがあるんですが(謝礼貰ったから厳密にはボランティアじゃないかもなんだけど)
知的障害児ときくとめんどくさーい想像をしてしまう人もいるかと思うんですが、実際には喋り始めるのが同年代より遅いとか、トイレトレーニングが必要とか、落ち着きがないとか(まぁ、重度の子もいたっちゃいたけど、そんな深いところまでわたしは介入していなかったので)わたしから見たかんじは普通なんですね。
行動も、まぁ、突拍子もない子もいたけど、基本的には普通の子ども。
喋れる子もいれば、喋れない子もいる。音楽療法自体も、参加する子もいればしない子もいる、する日もあればしない日がある子もいる。まさに十人十色。
そんな感じだったんですが

ある日、開始前に一人の女の子と、一人の男の子が知育おもちゃ(なんか箱みたいなやつ)で遊んでたんですね。
おままごとに近かったかもしれない。
男の子のほうはまだ喋れない子で、女の子はそこそこの子。たぶん、一緒に遊んでたというよりは、興味を持ったものが一緒だったから一緒にいただけだと思うんですが、女の子が箱をいじりながら
「この箱にね、色んなものをいれるんだよ」
「この箱は魔法の箱だから、いれるんだよ」
「何をいれたい?」
「わたしはね、入っているものを出すんだよ」
「だっていれたから出すんだよ」
みたいな話をしててですね。
開始前にやることも大してないので、わたしはどーんっと飛びついてきた子と遊んだりとか、おはようって挨拶したりとか、話が出来ない子に一方的に話しかけたりとか、或いはお母さんとお話をしたりだとか、外から見てこの子は今日はこんな調子なんじゃないかなーって考えたりとか、そういうことをしてたんですが、その日はなんかその子たちに興味を引かれてずっと見てたんですね。
脈絡ねーな、かわいいな、とか思いながら。
したら、その女の子が

「わたしはね、おかあさんがなくのをこの箱にいれるんだよ」

って言い出してですね。
今になって思えば、そういう場所に通う必要のある子を育てていくって、大変なことだと思うんですよね。
お母さんがどんな方だったか覚えてないんですが、中には「疲れておられるなー」って方もおられたし、その子のお母さんもそうだったのかも。
で、その子が言うには

「おかあさんがなくのをこの箱にいれて、それをわたしが出すんだよ。あとね、このまえ○○ちゃんとけんかしたことも、この箱にいれるんだよ。しいたけ(たしかしいたけだった)もいれるんだよ。それでね、わたしは出すんだよ。魔法の箱だから、出すの。出したらいいんだよ。いいものになってるから、出すんだよ」

とのこと。
他にも色々言ってたけど、まあ、こんな感じだった。
わかりやすく言えば、嫌なものを入れて出したら素敵なものに変わってる魔法の箱ってことなんでしょうね。
わたしはそれを見て、なんだかすごく、感動したんですよね。
この子はこんな年で、嫌なものを乗り越える術を身につけてんのかーって。


その頃のわたしは俺史上稀に見る天才期でですね。
信じがたい成績優秀さだったんですが、評点が常に最高でも、テストの点がたとえ学年トップ・校内トップであっても、2点でも間違えていればなんだか納得できない、常に追い詰められたように点数と評点を求める、今になってみれば勉強に囚われていたとしか思えない学生だったんです。……いやいやそんな褒めんなよてれるだろその時だけだし(
いや、それはともかく、そんなわたしだったんですが、自分が頭いいとは思ってなかったんですよね。
謙遜しているとかそういうのではなく、リアルに。
わたしは不器用で勉強に必死になっている、他人より余裕がないかわいそうな頭の人だと思っていたのです。いや、そこまで卑下はしてなかっただろうけど、まあそんなん。
ごくごく普通に、わたしは普通で、むしろ人より劣っているから必死になっているのだと思っていた。
だからといって他の人が頭がいいとかでもなく、そんなスペックのわたしに負けている時点でねーよwwwwwみたいな感覚さえあった、まあ非常に性格の悪いガキだったんですが!たった四年くらい前なんですが!
毎日がクソつまらなかった。少なくとも、今みたいにふわふわーっとものを思うことも、滅多になかったかな……。
昔はしてたんだけど、その頃はそんな余裕さえなくて、毎日つまんねーって思いながら、しなきゃいけないから同じことを繰り返してた。

で!わたしの話はどうでもいいんだよ!
で、そんなわたしには、この少女がものすごーく頭がいい子に思えたんですね。
たとえ世間から知的障害児と言われようとも、その子が、この世界の誰よりもすごい人間に思えたんです。
なんだろ……人間として頭いい?そういうかんじ。
そして、すごく優しい、いい子に思えました。
だってそうでしょ、親のネガティブな感情まで、すてきなものに変えてくれるんだぜ?


生きる上で必要なものって、たくさんあると思うんですよね。
酸素もそう。知識もそう。たくさんの食べ物もそう。趣味や、わたしで言うなら本やパソコン、四季折々、布団から家族から友人まで。
でも、本当に必要なのは、この箱なんじゃないかなって思います。
嫌なもの、ネガティブな感情、うまくいかない人間関係からキライな食べものまで、全部、この箱に入れるといいと思います。
魔法の箱なんてこの世には存在しないから(だって唯一の箱はパンドラちゃんが開けちゃったもん)
実際には何も変わらないんだけど、この箱の重要なところは、いれる人が、いれて出したら変わっていると信じてることだと思うんですよね。
自分でネガティブなものを、「いいもの」に変えようとする。これはすごいことだと思います。
逆に言えば、どんなにネガティブになっても、この箱さえあればなんでもうまくいくんだぜ!?世界はばら色なんだぜ!?
目に映るすべてのものがすばらしいものに変わる可能性を持っている。そう思うと、生きることがとても楽しくなると思う。


勉強が出来て困ることはないと思います。
それが出来る人間が評価されるのも当然だと思うし、されない世の中ならいっそ滅べと仁岡先生の如く言いますよ。
「世の中勉強だけがすべてじゃない!」なんて言えるのは、努力して、それに見合う成果をあげた人間だけだとさえ思います。或いは、勉強以上に自分の売りになるものを持って、それを社会に証明できる人間だねっ。そうじゃなきゃ、負け犬の遠吠えと同じだろ?わたしを含め。
だけど、かつてのわたしのように、勉強しかやることのない子どもは、この箱のことをどう思うのかな?その人の中に、この箱はあるのかな?

うちの親は放任だったので、わたしが勉強の鬼と化していたのは自分で地獄を作るいつもの性分の発展みたいな感じだったんですが、自主的にそうなったわたしでさえ苦痛だったのに、強要されたらどんなに辛いことだろう、と。
実際いたんですよね。友人に、買うマンガいちいち親にチェックされたり、ゲームの時間制限されてたり、そもそもRPG自体悪影響だからってやらせてもらえなくて、他の友人の家でやってたり、こっそり隠してて、親が出張の時にこっそりやってたりする子が。
一日の勉強スケジュールが親によって綿密に組まれていて家でも学校にいるみたいだって言ってました。
や、さすがにこれは過激なほうだと思うんですが。

魔法の箱のことを考えると、わたしはあの知育おもちゃのカラフルさと、ディズニーにありそうな星が飛び出るようなキラキラを想像して、すごく楽しくなるんです。
そこに、たくさんのものをいれて、出したいと思う。本当に魔法の箱みたいで素敵だと思う。
だけど、勉強だけだと、それをその箱にいれて、出して、その後何を思うのかな?
次は何をいれようってわくわくしたり、箱にいれなくても世界がすごく素晴らしいような気がする自分を誇らしく思ったり、そんなこと、あるのかな。


ネガティブなものはこの世の中、尽きることはないと思うんだ。
なら、みんなで魔法の箱を持とうじゃないか!
ネガティブなものから生み出されるものもあるんだって思ったら、途端に楽しくなるんだから!
わたし、ネガティブの本質は、そのものにあるんじゃないと思うんです。ネガティブだなって思う、こっちにあるんだと思うんですよね。
ネガティブな印象があって、それを受け取って、たぶん頭の中で勝手にネガティブにしてしまう。その結果自分がネガティブになる。で、その後ずっと、そのものをネガティブだと思ってしまう。
……えーと、わからなくなってきたぞ、えーと……。
要するにですね、ネガティブじゃないかもな?ネガティブだったら箱にいれよっか、って思うと、大抵のものの存在は肯定できるんですよね。
そしてわたしは、否定するよりも、肯定する生き方をしていきたいって思うんだ。出来る限り、だけど。
そりゃ否定したいものの一つや二つや三つや四つや五つや十や百はありますよ。人間なんだから。


で、だ。
世の中の親には、この箱のごとく、魔法のような存在でいて欲しいんですよね。
いつも子どもをわくわくさせて欲しい。ありとあらゆる可能性があるんだよって子どもに教えてあげて欲しい。
一方から見たものだけじゃなくて、他方から見たもの、他方から見ることを教えて欲しい。
実際に子どもにこの箱は魔法の箱で~とか言ったって、なれるまで自分で変換なんかできやしないでしょ。だから、親自身が最初は魔法の箱になってあげて、ネガティブなものをポジティブに変換してあげたり、或いはネガティブに思わないようにフォローするようにして欲しいと思うんですよね。あ、ついでにネガティブになっちゃった時のフォローもね。

勉強がキライな子どもには、この箱に勉強をいれて出してあげて、勉強の楽しさを教えてあげてほしいし、
人と関わることがキライな子どもには、この箱にそれをいれて出してあげて、人と関わる楽しさを教えてあげて欲しい。
ネガティブなものだからって親が排除するんじゃなくて、ネガティブなものを、自分でポジティブに変換できる人を育てて欲しいと思うんですよね。そんでもって、必要なら自分でネガティブを排除できる、強い人に。
そうやっていくと……いや、これはね、理想主義者で有名なある先生にさえ、「ファンタジーだね(笑)」って言われたんだけど
わたしは、そうやっていくと、ポジティブ変換型の魔法みたいな親に育てられた子がやがて親になり、次の子に魔法の箱を託し、そうやって続いて、そうじゃない人に箱を与えることが出来る人が増えていって、最終的にアルカディアが完成すると思うんだよね。壮大な人類補完計画だよ!


……なんか青臭いこと言ったぞ。
うん、でも、感覚型人間の特権だと思うんだよね!こういうこと言えるのはね!
ふわふわーひょろひょろーっとしているからこそだからね!
うん、そういうことを、ニュース見たのと、トリイ・ヘイデンシリーズを読んでいて思ったんです。
ついでに言えば、○○障害児とか障害者だからと蔑む行為は、わたしはぜったいに許さないからねっ!
あなたにはこの箱を作れるのかと!あの少女の素晴らしさはもう、全世界同時中継で流してもいいくらいだとわたしは思ってるんだから!
ま、これはわたし自身ネガティブポジションに置かれることが多いから思うのかもしれないけど。
障害があるのだということと、障害があるから出来ないことがあるのだということと、その人の人間性とを、混ぜてはいけないよ。
うん、これも箱にいれようか。たぶん、みんながネガティブイメージ持っちゃってると思うから。わたしも含め。




ついでにこの記事を台無しにすることを吐いてもいい?
もしみんなが箱を持ったアルカディアが完成したら……その基盤はわたし……要するに世界はわたしのもの!だよね☆

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