よんいちぜろ
日々のこととか、自分勝手な呟きとかそんなん。
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CATEGORY : にっき
おいしいご飯を食べよう
DATE : 2010-05-30-Sun  Trackback 0  Comment 4
こんばんは、早く明日になれぇえええっ!410です。
明日は学校行ってPS3とゲームソフト買って俺のゲームヘヴン完成だ……!です。
頭が春めいているのはいつものことです。

さてさて。
今日は祖父の三回忌の法事があり、朝早くからいろいろしてました。
が!
昨日姉とニコニコしてたらぜんっぜん寝れなかったのが原因だと思うが体調が絶☆不☆調☆
ごちゃごちゃしたことを片付けたかどうかも覚えてないけど寝て、起きたら、従妹弟たちが礼装に着替えてましたっ☆
ねーよ……ねーよ!!!

まぁお茶汲みしたり留守番したり食事会でネギ入っててゆるさない絶対にゆるさない状態になったり。
祖父の弟君が涙混じりに「思い出話でもしてやってください」と言った時にはじんわり来た気がしたがリアルでは滅多に泣かない410さんにそんなことが起きるはずがなかったよ!
ドラマ見たり漫画読んだりしてるとぽろぽろ泣くんですが、こと現実に、自分に関係ある形で起こった出来事に対してはいやあ、泣かないなあ。

そうですね。祖父は明るく優しく厳しく勤勉で頭のよい方でございました。
頭がよいだけではなく芸術にも精通しており、「知識を得る」ということに誰よりも貪欲だったと思います。紳士然とした外見に、穏やかなしゃべり方、犬の散歩をしたりラジオ体操をする健康的な生活、習字を嗜み妻を愛し、いい年のとり方をしているなあという一言に尽きるかんじでした。
実際父親よりもわたしの演奏会とか来てたんじゃないですかねー。
とにかく習字の綺麗さに定評があり、それを生業とするくらいの方で、わたしは生まれてこの方書初めにテキトーに挑んだことがないという、読書感想文とかに対するテキトー心からは想像も出来ない取り組み方をしてきたんですよね。
古文書の解読をしたり俳句を詠んだり短歌を詠んだりしていらっしゃったので、そういう話をするのがすごく楽しかった覚えがあります。
歴史や古典に興味を抱いたのも、祖父や父の本を盗み読んで育ったからでしょうね。何よりも、学ぶことの楽しさ、学ぶことで築かれる人間像的なものを教えられた気がします。
別に教えようと思っていたわけではなく(あちらから押し付けてくることは一切なかった。しゃべりだしてとまらないことはあったけど)わたしが興味があるなと感じたことを口に出せばいろいろな情報をくれて、そのことをいちいち覚えていて、のちに関連することを見つけたら嬉々としてそれについて話してくれる、なんというか……自分から学ばせるスタイルを素でやってしまうというか。
学校のように与えられる知識を受け取るのではなく、祖父が持つ知識を少しでも得ようとわたしががっついていく、そうやって育った……ような?
わたしが県代表で大会に出ると知ったら来る人来る人に県大会の時の新聞を見せびらかし、就職が決まれば「あそこで孫が働くんです」と病院の窓から指をさし。マージで、わたし実の祖父にするとは思えないことをいくつかしてんですが、それでも嫌いにならず、むしろ誇ってくれた器のでかい人でした。
愛されているなあと感じたことは少なくないが、あの人は誰よりもわたしをあいしてくれていたよ。
きっと生きていたら、出版されたことを誰よりも喜んでくれたことでしょうね。
まあ、生きてたらそれはそれで色々あって、ぐぎゃーってなることもたくさんあったんだと思うけどね。
「もし」生きていたら、とか、そういう話をするのはすごーく無駄な気がするし、祖父の死はわたしのなかではもう落ち着いたことなので別段悲しかったり寂しかったりということはないのですが(そうじゃなきゃ祖父の人生に失礼だ)
それでも、祖父がわたしをあいしてくれていたなあということと、祖父を失ったばかりのころ自分が思ったことと、そして祖父がいなくても生きているたくさんの人々のことをいつも胸に抱いて生きていきたいですねえ。
「もし」祖父のために何か出来るというのなら、それはきっと、祖父の死を悲しんでくれて、祖父が愛してやまなかったたくさんの人々をわたしが愛すことでしかないんじゃないですかね。
そう思っているのはきっとわたしだけではなくて、たくさんの人にわたしは愛されている。誰かを失った日にこんなことを思うのは皮肉だけれど、幸せだなあ、と思います。

今日……正確には昨日は祖父の命日であり、祖父がいってしまった悲しい日であり、そして、祖父が病気から解放された日でもあり。
死を喜ぶことは難しいけれど、わたしは少し安心したことをおぼえているよ。
黄疸がひどくて、がりがりに痩せてしまっていたけど、本当に笑っているみたいに穏やかな顔だったから。
そして、どれだけ死が穏やかでも残されたら悲しいんだってことを思い知らされた。
祖父が死んで、葬儀やらもろもろをこなしているころに思ったのは、わたしはとてつもなく子供だってことだ。
たくさんの人に守られて、庇われて、たくさんのことを人に任せて、頼って、フォローすることもできなかった。
わたしは、大人になりたいなと思った。
今わたしは、あの日のわたしに恥じない人間になれているのだろうか?
お茶を汲みながら、そんなことを思いました。

ううーん、少ししんみりしてしまったね。
まあ、特別かなしーとかそういうのはないんですが、なんというか……胸の中に、いつもと少し違う風が吹いた、そんな一日でしたね。
あの世的なものでもあの人はなんやかやで楽しんでくれていると思うので、今日行った法事は残されたわたしたちのためのものなんだろうな、とかね。
正座キチィとかね。
従弟マジかわいいとかね。
メロン嫌いなんだけどどうしてくれんのコレとかね。

さって!明日は(ry 俺の(ry

姉貴にお土産くらい持たしてやりたいが、すっかり忘れていた……そんな、20の夜。
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