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よんいちぜろ
日々のこととか、自分勝手な呟きとかそんなん。
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 その少女は毎週金曜日の夜、DVDを大量に借りていく。
「えー、こちら旧作ですので期間は……」
 お決まりの説明をしながら、気づかれないように少女を見つめた。高校生くらいだろうか、どことなく背伸びをしている印象を受ける。たとえば、肩で切りそろえた黒髪から覗く金色のピアスとか、長く伸ばした爪が薄くピンク色に塗られているところとか。深夜に出歩いているわりにはおとなしいほうだと思うけど、それでも、必死に大人ぶってつま先立ちをしているようなお洒落が微笑ましい。
 自分もこのくらいの年の頃は背伸びしたものだ。流行りを追いかけることに喜びを覚えていた。似合わないとわかっていて髪を染めて、制服を無理に着崩して、彼女のように週末には夜の街に繰り出した。まぁ、自分の場合、目的地はライブハウスだったわけだけど。
 思えば、あの頃の憧れが今の自分の原点だ。大好きなバンドを追いかけて、必死でベースを練習して、歌詞を、曲を書いていた。それが自分の未来につながると信じていた。
 なのに、その音楽からは大学を卒業と同時にきっぱりと手を引き、未練がましくこんなところで働いている。
 ああ、思うようにはいかないもんだなぁ。
 懐かしく思いながら、バーコードを次々に読み取っていく。あの頃、彼女のように背伸びをして染めていた髪は5年前に黒くした。流行りの服を着るのをやめたのもその頃だ。
 この、あの、その。一体どの地点を指してそう言っているのだろう。そこにあるのはどんな記憶だというのか。それはどんな価値を持っているというのか。
 ……ああ、まただ。
 脳内で氾濫する代名詞に、だから詞を書いてもいい曲が出来なかったんだと思い知る。こんなはずじゃなかったのになぁと、もう一度。レジの右端のデジタル時計が、かちりと動いた。あと1分で今日が終わる。
「……以上20点でお会計2000円です。ポイントカードはお持ちですか?」
 少女は律儀にポイントカードとお札を揃えて会計皿に入れてきた。彼女がポイントカードを持っているのはとっくの昔に承知していることだけど、決まり文句なんだから仕方がない。
「では2000円お預かりいたします。レシートをどうぞ。
 それから、ただ今キャンペーンをしておりまして、来月末までにこちらをお持ちいただくとレンタルが1点無料になります。是非ご利用ください」
 お金をレジに収めてから、キャンペーン用の小さなカードに今日の日付のスタンプを押す。あぁ、彼女の接客が終わったら日付を入れ替えておかなければ。
 4月1日、嘘を吐く暇も必要もない退屈な大人の1日が終わる。
 だから何というわけでもないけれど、何故かその隣に書く自分の名前は醜くゆがんだ。
 こんな時に、書き順の少ない名前はいいなぁと思う。伊藤とか、佐藤とか、工藤とか。複雑に線が交差する自分の名前を恨んでいるその間、少女はじっとこちらを見つめていた。
「では、どうぞ」
 カードを手渡し、商品を手渡すために袋を持つ。しかし少女はそのカードをじっと見つめて、そして、こちらを見た。
「これ、お名前、なんて読むんですか?」
 少女は珍しく、というか、初めて口を開いた。思ったよりも子どもっぽい声だ。
 その薄桃色の爪先が指し示すのは、たった今書いたばかりの「仲村渠」という文字。
「あ、えーと、〝なかんだかり〟です」
 名字の読みを好奇心で聞かれることは珍しくない。生まれてこの方、親族以外にこの名前の人間と会ったことはないくらいだし、相当珍しいのは自覚してる。ご先祖様を恨むと祟られそうなので我慢しているけれど、最後の文字は完全に不要だと思うんだよな。
「……なかんだかり、さん」
「はい」
 名札を指でつまんで見せてみれば、そこにも複雑な文字が躍っている。パソコンで出しづらいんだけど、とぼやく店長の眉間に刻み込まれた深い深い皺の複雑さもなかなかだったけれども。
「下の名前は、ちさとさん、ですか?」
 少女は首を傾げて名札を覗き込んできた。そこまで興味を持たれるような覚えはないけれど、見えやすいようにさらに角度をつけてあげた。
「はい。千のふるさとと書いて千郷(ちさと)と読みます」
 百一歳で大往生したという祖母が名づけた名前は、何やかやで響きは気に入っている。バンド活動をするときも使っていたくらいだ。おかげさまで、バンドの趣旨にそぐわないと大不評、解散する一つの原因にさえなった。
「ちさとさんは、いつも金曜日には、いらっしゃるんですか?」
 いつもなら商品を受け取るなり足早に店を出る少女が、今日は何故かレジの前から動かない。何か学校で嫌なことでもあったのだろうか。あるいは家に帰りたくないとか?
 そんな他人の事情に首を突っ込むわけにもいかず、べつに不快でもないし、さして忙しくもないので、彼女の世間話に付き合うことにした。
「うーん、大抵? ていうか、火曜と水曜以外は、この時間帯にいつもいる感じです。みんな入りたがらないからね、バイトの子は」
「ふうん。夜って、お客さん多いんですか?」
「まあ、暇だよね。だから、ほら」
 ないしょだよと、こっそりとレジの横から雑誌を取り出して見せてあげると、少女はうっすらと笑ったような気がした。
「ほんとに、暇なんだ」
「うん、暇です。だから、いつも来てくれてありがとうございます。おかげさまで給料泥棒にならずに済む」
 適当な社交辞令のつもりだったけど、少女は今度は間違いなく顔をほころばせた。美少女なだけあって、笑うとモデルみたいだ。もしまた音楽をやることがあって、さらに奇跡的にメジャーデビューしたらジャケット写真のモデルを頼みたいくらいだ。
「音楽が好きなんですか?」
 持っていたのが音楽雑誌だからだろうか、彼女はさらに質問してきた。
「あー、うん、まあ。昔、バンドをやってたの」
「へぇ。CD、置いてる?」
「残念、インディーズだから置いてない」
 少女は残念そうに目を伏せた。そのあまりのはかなさに胸が痛む。
 あぁ、ごめんね。才能がないばっかりに。
 こんなふうに、子どもをがっかりさせる大人にはなりたくなかったな。あの頃わくわくさせてくれていた、憧れのバンドの人達みたいになりたかった。
 こんな、ちっぽけなレンタルショップの店員じゃなくてさ。
「……また、話をしに来てもいいですか?」
 ちらりと腕時計を見てから、少女はそう言った。ああ、嘘吐きの日ももう終わる。遊び心さえ忘れた退屈な大人になりたくないと、脳裏を悪巧みがよぎる。
 気まぐれに、嘘を吐いてやろうと思った。
「うん、どうぞ。いつも君が来てくれるのを待ってるくらいだから」
 夜遊びをする女子高生をからかっただけのつもりだった。こんな怖い大人だっているんだよ、と。
 だけど、返ってきた言葉はまるで予想外で。

「……じゃあ、また来るね。
 私のことを好きになってくれるまで」

 言ってしまってから、はっとしたように口を覆う少女。そしてそのまま、さようならと吐き捨ててドアの方へ足早に向かう。
 それを目で追いながら、理解できずに瞬きをする。

 え? ちょっと待って。ええと   
 どういうことだ?
 え? まさか、そういうことか?
 きちんと訊きたくて、でも何だかそうしちゃいけない気もして、少女を呼び止めようと伸ばした手は空気をつかむ。
 すると、ローファーを履いたつま先がくるりと回った。

「ヒント! 今日は何の日?」

 後に残された退屈な大人である自分は、しばし逡巡し、「騙された!」と叫んだ。
 少女は入店音の軽快なメロディによく似た笑い声と、0時1分と印字されたレシートを残して夜の街に消えていった。
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「チロは生まれ変わったら何になりたい?」
 みよちゃんはわたしの背を撫でながら、そう問うた。
 いつもふたつに結んでいたきれいな黒髪は、手術のためにさっぱりと切ってしまっていた。
 ふわふわと揺れるそれに手を伸ばすのがわたしの楽しみだったのに。
 まるで男の子のようなショートカットになったみよちゃんは、お母さんが編んだニット帽をかぶっている。この夏の盛りに、だ。
 昨日、病院からみよちゃんが帰ってきた。朝、みよちゃんが帰ってくるとお母さんに言われた時には、最近はなんだか寂しかった家もまたにぎやかになるなと思っていたのだけれど、久方ぶりに帰ってきたみよちゃんは、お母さんに車椅子を押してもらわなければならない体になっていた。
 かけっこが得意だったのに、立ち上がることもままならないみよちゃんは、こうしてベッドに座って、わたしを撫でているしかやることがないらしい。  わたしは、本当のことを言えば近所の公園まで散歩に行きたかったのだけれど、仕方ないからみよちゃんに付き合ってあげている。
 うなるように返事をすると、みよちゃんは、そうね、と笑った。
「チロはまだ若いものね。そんなこと考えるのは、早いよね」
 みよちゃんだってまだ7つだ。人のことは言えないだろうに。
 みよちゃんの声は少し寂しそうだった。わたしの返事が気に食わなかったのかもしれない。
 すっかりやせ細ってしまった手をぺろりと舐めると、大丈夫、とみよちゃんはわたしの背中を撫でてくれた。
 昔のようにまあるい手ではないけれど、みよちゃんの手は相変わらずやさしかった。それだけに、なんだか物足りなく感じた。
 みよちゃんとわたしは、みよちゃんがまだ立つこともできなかった頃からの付き合いだ。まあ、その頃はわたしもまだ、母の乳から離れられない子どもだったのだけれども。
 みよちゃんが立った日も、はじめてわたしの名前を呼んだ日も、わたしはすべて覚えている。
 小さかったみよちゃんがスモックを来て幼稚園に行った日も、お友達とけんかして帰ってきた日も、わたしはずっとみよちゃんの傍にいた。
 小学校に入学するのだと赤いランドセルを買ってきた日も覚えている。あまりにもきれいだったから爪を立てて、お母さんにひどく怒られたのだったか。
 お母さんは仕事が忙しいから、みよちゃんの遊び相手を務めてきたのは何を隠そうこのわたしだ。みよちゃんのことなら何でも知っている。言うなれば、わたしはみよちゃんのエキスパートなのだ。
 わたしは知っている。みよちゃんは、猫じゃらしで遊んであげると喜ぶのだ。きっと今日も、遊んであげたら元気になるに違いない。
 そう思ったわたしはぴょんとみよちゃんの膝から飛び降り、おもちゃ箱の中から猫じゃらしをくわえると、みよちゃんの膝に戻る。ふりふりと動くそれは、わたしから見ても魅力的なおもちゃだった。
「そうだね、久しぶりだもんね。遊ぼうね」
 みよちゃんは猫じゃらしを手に取ると、またわたしの背中を撫でた。そして、ゆるゆると猫じゃらしを振る。
 みよちゃんは、追いかけるのがたいへんなくらいの猫じゃらしの達人だった。なのに今は、手を伸ばせばすぐに触れるくらいの情けないスピードでしか猫じゃらしを振れないらしい。
 わたしの知るみよちゃんとはあまりにも違うその動きに、ああ、こんなことやろうなんて言わなければよかったとほんの少しだけ後悔した。
 病院にいけばみよちゃんは元気になるとお母さんは言っていたのに。だから、しばらくみよちゃんがいなくてもがまんしたのに。うそつき。病院はみよちゃんをだめにしただけだった。
 それでもみよちゃんに付き合ってあげなければ。もとのみよちゃんに戻るためにはリハビリが必要なのだから。それは、ほかの誰でもない、わたしにしか出来ないことだ。
 みよちゃんの情けない猫じゃらしに付き合って、わたしは体を動かす。みよちゃんは情けなくとも、わたしが飛びつく限り猫じゃらしを振ることをやめなかった。わたしを見つめて、猫じゃらしを振り続けていた。
 だからわたしは、ずっと、ずっと、猫じゃらしを追いかけ続けた。
「あっ……」
 しばらくそういうやり取りをしていたら、みよちゃんが突然猫じゃらしを落としてしまった。
 拾い上げようとする手は震えて、どうやらまともに動かないらしい。
 果てしなく広がる白いシーツの上に打ち捨てられた猫じゃらし。なんだかどこかで見たような、いやな光景だと思いながら、心配になってじいっとみよちゃんを見上げると、みよちゃんは大きな瞳いっぱいに涙を浮かべて、唇をかみ締めていた。
 目が真っ赤だ。また体の具合が悪くなったんだろうか?
 ちょいちょいと手の先でみよちゃんの手に触れてみたけれど、みよちゃんの手が元気になる気配はなかった。
 みよちゃんは震える手をこちらに伸ばしてきた。どうやらわたしを抱き寄せたいらしい。みよちゃんのエキスパートであるわたしはそれを察して、自らみよちゃんの懐にもぐりこむ。
 みよちゃんの体は、なぜだか少し冷たいように感じた。寒いのかもしれない。少しでも体温が分け与えられないだろうかと必死に自分の体を押しつけていると、みよちゃんは手と同じように震える声で、しぼり出すように
「神様は、わたしのお願いを聞いてくれるかなあ?」
 そう言った。
 わたしは動きを止めて、はて、みよちゃんは信心深いほうだったかしら?としばらく考えてみたが、そんな記憶はない。みよちゃんに叶えたい願いがあるなんて、初耳だ。
 みよちゃんは続けた。
「わたしは、生まれ変わったら、もう一度わたしになりたいよ。もう一度、チロと猫じゃらしで遊びたい」
 そんな言葉といっしょに、ぽろっと涙がこぼれ落ちる。
「チロだけじゃなくて、いつか生まれるだろうチロの子どもとも、遊びたい。遊びたいのに、どうしてこの手は動かないの」
 みよちゃんの涙は止まらなかった。ぽろぽろ涙を流しながら、みよちゃんはわたしの背中を撫でる。
 みよちゃんはわたしの体に触れることが大好きだから、わたしはそうさせてあげた。情けない手つきだけれど、不快ではなかったし。
「わたしがいなくなったら、誰がチロと遊んであげるんだろう。チロは昔から、わたしにべったりで、お父さんやお母さんに甘えなかったじゃない」
 みよちゃんはどうやらわたしのことが心配らしい。わたしは別にどこも悪くないし、お父さんやお母さんとだって遊べるのに。今だって、ちゃんとみよちゃんと遊んであげたじゃあないか。
 みよちゃんはむしろ、自分の心配をするべきだ。みよちゃんが元気にならないと、猫じゃらしで遊ぶこともできやしない。
 わたしにはみよちゃんが心配するようなことなんて何もないんだよ、と頬を舐めてあげると、みよちゃんは感極まったようにわたしを抱きしめた。
 よわく、こころもとないみよちゃんの腕に、わたしは体を預ける。なぜか、そうしていないと、みよちゃんが遠くに行ってしまう気がしたのだ。
「チロ、ごめんね。ごめんね」
 みよちゃんは何度もそう繰り返した。
 わたしは返事をするように、ただ啼いた。

 黒い着物を着たお母さんは、あの日のみよちゃんと同じように目を真っ赤にして、さめざめと泣いていた。お父さんは同じように目を真っ赤にしてお客さんたちにご挨拶している。おじいさんやおばあさんも来て、お母さんを励ましたり、お客さんたちとお話をしたり。
 こんなににぎやかになるのなら、みよちゃんがいる時に集まればよかったのに、とわたしは一人、不貞腐れる。みよちゃんは、にぎやかなのが大好きだったのだ。
 それなのに、みよちゃんはひとりぼっちになってしまった。
 果てしなく広がる白い世界に、みよちゃんはぽとりと落ちて、そして動かなくなった。
 まだ小さくて、子どものみよちゃんが、どうしてそんなことになってしまったのか、わたしにはわからない。ただ、みよちゃんと遊んであげることはもうないのだということだけは、なんとなくわかった。わたしの知るみよちゃんが帰ってくることは、もう、ないのだと。
 やっぱり、病院になんて行ったのがいけなかったんだよ。あそこはみよちゃんをだめにしただけだった。
 最後なんて、みよちゃんは一言も喋らなくなっていた。チロ、と、舌足らずにわたしの名前を呼ぶことさえ出来なくて、落ちていく寸前、みよちゃんが震えながら開いた口からは、何の音も聞こえなかった。
 わたしから引き離したりするから、みよちゃんはだめになってしまったんだ。みよちゃんにはわたしが必要で、わたしにはみよちゃんが必要だったのに。
 ずっとそばにいられさえしたら、みよちゃんのことなら、わたしはなんでもわかったはずなのだ。それこそ、どうしてこんなことになってしまったのかとか、みよちゃんが最後にわたしに向かって言おうとしたことはなんだったのかとか。
 お母さんも、そのことは後悔しているようだった。どうせこうなるのなら、もっと家で一緒にいてあげればよかったと、夜ごと昼ごと泣き続けているのだから。
 みよちゃんにそっくりの顔でそれをされると、なんだかわたしまでざわざわと身の毛が立つような気がするのだ。
 わたしはおもちゃ箱から猫じゃらしを持ってきて、お母さんの前に置いた。一声上げると、お母さんはわたしを見て、涙をこぼしながら、笑顔を作った。
「そうね、遊びましょうね」
 お母さんはかつてのみよちゃんほど猫じゃらしの達人ではなかったけれど、仕方ないからわたしはお母さんと遊んであげた。
 お母さんが悲しい顔をしていたら、きっとみよちゃんは泣き出してしまうだろうから。
 わたしはみよちゃんの笑顔が好きだから、みよちゃんの笑顔のために、お母さんやお父さんを守ってあげるのだ。
 そこまで考えて、ふと、思いついたことがある。

 ――あぁ、もしかして、みよちゃんが最後に言おうとした言葉は。
 それが正解なのか間違いなのか、教えてくれる人はもういないから、わたしはただただ、猫じゃらしを追いかけ続けた。
 手を伸ばしても、伸ばしても、逃げていくそれを、ただ、追いかけた。

 みよちゃん。
 わたしもね、生まれ変わっても、またわたしになりたいよ。
 またみよちゃんに会いたい。みよちゃんの猫がいい。
 みよちゃんじゃないと、わたしは猫じゃらしで遊んでいてもつまらない。
 みよちゃんとまた元気いっぱいに遊びたい。まだ見ぬわたしの子どもたちも、みよちゃんに抱かせてあげたい。みよちゃんが大きくなったところだって見たいし、みよちゃんの子どもとも、猫じゃらしで遊びたい。またあのふたつ結びにじゃれつきたい。冬にはこたつで一緒に丸くなって、みよちゃんの誕生日にはわたしはみよちゃんの枕元で寝てあげるのだ。クリスマスには、プレゼントはじゃまだからけっとばして、みよちゃんの枕元の大きなくつしたの中で眠るのだ。
 みよちゃんと過ごした日々を思い出すと、なんだかざわざわする。
 ねぇ、もっと、もっと、みよちゃんと遊びたかった。
 もっと、もっと、もっと。

 お母さんの手から猫じゃらしがぽとりと落ちて、そして、大きな声を上げてないた。

 それはお母さんのものだったのか、わたしのものだったのか。
 落ちた猫じゃらしを拾い上げてくれる人は、もういない。
 夏の風邪は馬鹿がひく、という。じゃあ秋の風邪は何だというのだろう。

 頭は内側から小人の猛攻撃を受けているように痛み、体は鉛のような重さを通り越して、もはや重力から解放されたように何も感じなくなっていた。ふわふわと浮かんでいるように、自分の存在を疑うように、何の力も入らなくなっている。息を吸うたびに咽喉が、肺が、ひきつるように痛み、視界はチカチカと火花が散る。
 真っ暗な部屋の風景とスパークする火花がまるで流れ星のようで、この世界にひとりぼっちのように錯覚させられる。果てしなく広がる闇の中で、わたしはふわふわと浮いているのだと。
 これは本当に、わたしの体だろうか。わたしの、生きているわたしの体だろうか。いつの間にかわたしは死んでいて、ゆっくりと浮き漂いながら消え去るのを待つだけの流れ星のひとつに成り下がってしまったのではないだろうか。
 漂うだけの終わりはいやだ。ひとりぼっちはいやだ。誰でもいい、わたしを世界につなぎとめていてほしい。そんなふうに右の手を伸ばしたわたしは、何よりも、その手が酸素しかつかめないことに恐怖していた。酸素には重みがないのだ。祈るように、もう片方の手を右手に添えた。それさえも、わたしに感覚を取り戻してはくれない。
どうして。どうして。どうして。わけのわからない恐怖心に、涙がこぼれそうになる。
 そんな時、手のひらに、ころんと丸い何かが触れた。そしてざあっと、派手な音を立てながら何かが降ってくる。
 星が降ってきたのかと思った。
 危うい視界でやっととらえたその丸い何かは、どうやらキャンディのようだった。ご丁寧に、「のどあめ」とポップな字で書いてある。流れ星にしては色鮮やかすぎるそれは、わたしの顔面とベッドを猛烈に攻撃しながらころころと転がっていった。
「あ、ごめん。起きた?」
「おき、るに……決まってんだろ馬鹿ぁああああ!」
 全力で叫ぶと同時に、酸素を吐ききった肺が、酸素の鎌鼬に遭った咽喉がけいれんする。ゴホゴホと咳き込むわたしの背中に、そっと手が添えられる。キャンディと同じく、確かに質感と重みを持った手。ついでにぬくもりも。
「ごめんごめん、なーんか、顔を見たらやりたくなっちゃってさ。飴の雨~、みたいな?」
「死ねよ……」
 舌打ちをしながら吐き捨ててみるけれど、わたしは安堵していた。あの無限に広がる星空の中で、流れ星になったわけじゃなかったんだ、と。ひとりぼっちではなかった。ちゃんと生きていた。そんな馬鹿馬鹿しいことで安堵して、涙がこぼれそうだった。そいつのやけにのんきな顔は、チカチカする視界の中でもなぜかはっきりと見えて、それがくやしかった。ん? と小首をかしげるしぐさとか、ずっと背中を撫で続けている手の感触とか、いかにも急いで着てきましたと言わんばかりのヨレヨレのシャツとか……。何から何まで見ていると余計に泣きそうになって、くやしかった。
 くやしかったから、わたしは添えられた手を振り払って、その胸に飛び込んだんだ。背中だけじゃなくて、前も、後ろも、体全部で質感、生きている人間を感じる。そのことにとてつもなく安心したことが、何よりもくやしかった。
「喉、乾いた」
「ん。ポカリ買ってきた」
「……わたし、アクエリ派だもん」
「よし、じゃあポカリ飲み干したらアクエリ買ってきてやるからな。いっぱい飲め、ガブガブ飲め」
「やっぱ、いらない。……頭痛い」
「ん、薬飲もうな。けどその前におかゆだ。買ってきたから」
「いらない。……だるい」
「一口食ったら寝ていいから。何か食いたいもんあるなら買ってくるし」
「……何も、いらない」

 ひとりは、さみしい。

 いつものわたしなら絶対に口にしない一言が、キャンディのように転がった。ベッド中に散らばる星屑もどきと同じに打ち捨ててくれればよかったのに、そいつはにへらと笑うと、わたしの頭を撫でた。
「うん、そばにいる。だから、早く治そう?」
 その時、わたしが覚えた感情は何だっただろう。きっとわたしは、それの意味も、名前も知っているけれど、知らないふりをした。今すぐ流れてしまいたいと縮こまりながらそいつから離れて、無造作に飴をひっつかんで口に放り込んだ。そしてベッドに倒れ込んで布団をかぶった。
「……おなかへった。早くおかゆ持ってきて」
 はいはい、と返事をしたそいつが、電気をつける。
 もうどこにも、星空は広がっていなかった。
 この世界がこんなにも美しいということを、アタシは知っている。
 それはきっと、どうしようもなく、絶望したことがあるからだろう。
 だからアタシは思うんだ、この世界に生まれてよかった、って。

 *

「……あ」
 ある日、部屋を片付けていると、小さな箱を見つけた。
 物語に出てくる宝箱のような、アンティークの箱だ。
 ギィ、ときしむ箱を開けて、手に取ったのは、洋服。
 今よりもずっと小さかったジュダのために、ウォルダーが餞別だと寄越したものだった。ジュダの瞳の色によく似合う、淡い色のセーター。ジュダはこれがお気に入りで、いつもいつも、大切に着ていた。
 今になってみれば、ウォルダーが殴りあいになるまで反対した理由も、わからないでもない。アタシたちが疲れ果てていたことに加えて、アタシは……母親のいない、未婚の、女性だったから。
 母親に愛されたことがなかったから、この子の母親代わりになると決めたものの、どうしていいのかわからなかった。育てようと決めたからには立派に育てなくてはと、ジュダには秘密だけれど、世に言う育児書をかき集めて、夜な夜な勉強したりもしていた。
 実際には、育ててやろう、なんておこがましい考えだった。アタシが何もしなくても、ジュダは、自分で考え、自分で行動し、自分で成長できる子だったから。

 だから、決めた。アタシは、アタシの養父がそうしてくれたように、いつでもこの子の味方でいよう、愛し続けようと。

 次の一枚を手に取る。これは、ジャックが初めてうちで着た服。
 あたたかいから、思い出の一枚だから、二人のやさしさの象徴だからと、ジャックもこの一枚を大切に着ていた。
 ある日、木に引っ掛けて穴を開けてしまった時には、泣きそうな顔で謝ってきたっけ。
 ジャックに初めて出会った日のことは、今でも鮮明に覚えている。
 アタシに声をかけたウォルダーは、きっとこんな気持ちだったんだろうな、と。そう思ったから。
 アタシはきっと、ジャックを救うことで、アタシ自身を、救いたかったんだろう。
 自分のせいで、あの人は。あの人たち、は。
 それは、アタシがずっと、思い続けてきたことだったから。

 ジャックは、とても強い子だ。
 辛い過去を、決してなかったものになんてしない。しようと思わない。
 そういうものすべてを含めて、自分であろうとしている。
 過去を誰かのせいにしたりもしない。でも、未来について、誰かに感謝することはできる。
 だから、他の誰かの過去も含めて、その人として受け入れることができる。愛することができる。
 人を殺してきた、アタシや、カブのことでさえも、ジャックは受け入れた。無条件にじゃない、ジャック自身がきちんと理由を持って、受け入れた。
 ジャックがそれを罪だと知ってなお、アタシ達を受け入れてくれたから、アタシ達は、自分の罪と向き合うことが出来たんだろう。
 ジュダは、とても優しい子。
 誰かの悲しみを理解し、癒してあげることができる。
 ジャックが辛い過去を受け入れることができたのも、ジュダがずっとそばにいたからだろう。
 ジュダは、人の苦しみ、悲しみに対して、涙を流すことができる。
 ジュダが泣いてくれるから、アタシや、ジャックや、カブは……ひょっとしたら、ウォルダーも、自分の人生に後悔しないでいられる。誰かを恨んだりせずにいられる。
 この子が泣いてくれるなら、それだけの価値が自分にはあるのだろうと、そう思える。
 ……人の死に対してさえも、涙を流せなかったアタシとは、違う。

 そう、育てられていたのは、アタシの方。
 アタシが持たなかった純粋な子どもの心を、この二人はずーっと大切に育ててきた。
 だからこそ、アタシは多くのことを、この二人に教えてもらった。

 ふと、冷たい感触がした。
 洋服の下にあったのは、小さな塊。
 かつて、アタシの首についていたそれ。
 アタシが奴隷と呼ばれていた証……そして、アタシは奴隷なんかじゃない、人間なんだという、証拠。
 昔のアタシなら、見ることも、触ることも嫌だったはずのそれが、子ども達の洋服と一緒に“宝箱”に入っている理由はひとつ。
 アタシ自身が、あの頃の自分を、大切にしてあげたいと思ったから。

 ずっと、思っていた。
 アタシのせいで不幸になった人がたくさんいる。アタシは自分の不幸におぼれちゃいけない。そんな権利はないんだから、って。
 辛い過去があろうとも、苦しい思いをしたとしても、アタシがしたことは許されることではない。
 アタシが苦しんで生きるのは、罰だから。当然のことだから。幸せになりたいなんて、願う権利もない。
 だから、せめて、と。
 せめて、子ども達には、幸せに生きてほしいと……二人の幸せはアタシが守らなければと、そう、勝手な気持ちを押し付けてしまった。
 二人の幸せは、アタシが幸せであることだったのに。

 養父に……父親に、この世界には希望が存在することを教えられた。
 だから決して、目を閉じるなと。
 そうしてアタシは、この二人に出会って……世界の美しさを知った。
 暗い暗い過去を知っているからこそ、笑えるんだと、だからこそ素晴らしいんだと、教えてもらった。
 そして、アタシに苦しみから立ち上がる力をくれたのは、いつもそばにいて、背中を押してくれたウォルダー。
 いつだってそばにいて、馬鹿な話をしながら笑いあえたから、アタシはアタシでいられたんだ。

 だから、願うんだ。
 この世界のすべての人が、道に迷わないように、いつも空の上から変わらない光が降り注ぎますように、って。
 どうか、この世界が美しくて、素晴らしいということを、忘れないでいてくれますように。
 アタシが愛するすべての人が、そして、アタシ自身が、いつまでも、いつまでも、幸せに暮らせますように。
 アタシが大好きな世界が、いつまでもいつまでも、美しくありますように、って。

「セリオスー!枯葉拾い、終わったよー!」
「早く芋焼こうぜー!オレ、お腹減った!」
 外から聞こえてくる、可愛い子ども達の声に、今行くよと返事をして、アタシは“宝箱”を閉めた。
 この中に、もっともっとたくさんのものを詰めながら生きていきたいなと、そう思いながら。 
CATEGORY : しょうせつ
ヤンデレで眼鏡な妹がお兄ちゃんを安心させるために語りかけてくるよ!
DATE : 2011-03-12-Sat  Trackback 0  Comment 0
お兄ちゃん、色々あって大変だったよね。不安だったよね。
でもね、わたし、お兄ちゃんは絶対大丈夫だって信じてたよ。
だってね、だってね、お兄ちゃんが死ぬ時にはぜったい、ぜったいわたしと一緒にいるはずだから!
ううん、他の誰にも、お兄ちゃんの命なんて奪わせないよ!
神様にだって渡さない!
だって、お兄ちゃんを殺すのは、他の誰でもないわたしのはずだから!

……ごめんね、お兄ちゃん、疲れてるのに、こんな話して。
え?
なんで眼鏡を外してるのかって?
ああ、これはね、お兄ちゃん以外のものをはっきり見たくなかったから。
わたしの目はね、お兄ちゃんを見るためだけにあるんだよ。
わたしの目がわるいのは、きっと、お兄ちゃん以外のものなんて見なくていいって神様が言ってたからなんだよ。
だからね、お兄ちゃんがいなくなったらこの目をえぐらなきゃってずっと思ってて。
お兄ちゃんがいない世界なんて、わたしには見えなくていいの。
そうだよね、お兄ちゃんが無事に帰ってきてくれたんだから、もう眼鏡もかけていいんだ。
ああ、お兄ちゃんがいる世界って、本当にすてき!

……お兄ちゃん、だーいすき。
お兄ちゃんが死ぬまで、ずっと、ずっと、ずーっと、わたしだけはお兄ちゃんの味方だからね。
ううん、わたしだけが!お兄ちゃんの味方だからね。
他の誰かのためになんか、お兄ちゃんは生きちゃだめだからね。
じゃないと……昆布で巻いちゃうからね?







「という夢を見たんだ」
「はいはい乙乙。昆布乙」
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